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2013年11月 9日 (土)

島倉千代子さんが急死 何故か涙が溢れました…「人生いろいろ」

「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」などのヒット曲で知られ、故美空ひばりさんとともに昭和歌謡を代表する歌手だった島倉千代子(しまくら・ちよこ、本名同じ)さんが8日午後0時半、肝臓がんのため東京・目黒区の東京共済病院で死去した。

shimakura.jpg75歳だった。3年前から入退院を繰り返していたが、先月に一時退院後、新曲の録音も行っていた。プロ野球選手との離婚、多額の借金、さらに乳がん…。壮絶な“人生いろいろ”を経験しつつ、品のある澄んだ歌声で人々を癒やし続けた。

歌謡界の大輪が突然、散った。所属レコード会社、日本コロムビアによると、この日朝、容体が急変。所属事務所の女性スタッフに看取られ、眠るように亡くなった。今月6日、島倉さんがスタッフに「体調が悪いので来てほしい」と自宅から電話。再入院し、一進一退を繰り返していた矢先だった。

肝臓がんと告知されたのは3年前。ごく少数の関係者にしか打ち明けていなかった。その間、3度の冠状動脈手術を受けたが、今年に入って肝硬変を併発。5月から仕事をセーブし、公の場は6月21日の宮崎・延岡公演が最後となった。死を覚悟していたようで、通夜は密葬とし、香典は断るようスタッフに伝えていた。

ただ、来年のデビュー60周年に向け、復帰への意欲は衰えなかった。先月中旬に一時退院した後、自宅で作詞・喜多條忠(66)、作曲・南こうせつ(64)の記念曲「からたちの小径(こみち)」を録音。遺作となったが、「来年発売の記念CDボックスに入れたい」と関係者は語った。

幼いころから波乱の人生だった。第二次大戦中の7歳のとき、長野県の疎開先で転び、左手首を47針も縫う大けがを負った。傷跡が残って引っ込み思案となり、学校でいじめに遭った。しかし、軽いポリオ(小児まひ)で足の不自由だった姉の歌手を目指す夢を受け継ぎ、高校在学中に歌謡コンクールで優勝。1955年に「この世の花」でデビューした。
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その後は、ひばりさんからも妹同然にかわいがられた。力強く天才肌のひばりさんに対し、泣き節といわれる哀愁を帯びた歌いぶりで、ひばりさんと昭和の歌謡界を牽引。「お千代さん」の愛称で親しまれた。

デビュー曲のほか、「東京だョおっ母さん」「からたち日記」などミリオンヒットを連発。NHK紅白歌合戦には57年から86年まで連続30回出場。88年に「人生いろいろ」でレコード大賞最優秀歌唱賞を受けた。

しかし、苦労と不幸も相次いだ。人気絶頂の63年に結婚、5年後に離婚したプロ野球阪神のスター選手だった藤本勝巳さん(76)の借金約6000万円を肩代わり。藤本さんとの間に3人の子を宿したが、苦悩の末に産まなかった。

70年代には知人らの借金の連帯保証人になり、総額約15億円の借金を背負ったことも。93年には乳がんの切除手術を受けた。99年に紫綬褒章を受章した際、「歌が生きがいだったから続けてこられた」と話す言葉に実感がこもっていた。

この世に生を受けなかった子供3人に「しのぶ」という共通の名をつけ、「しのぶは心の支えです」と涙ながらに語ったことも。今ごろは、子供たちや亡き姉、両親ら家族と天国で手を取り合っているに違いない。
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=以上の記事は [サンケイスボーツ]からの転載です。=
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関連情報は→島倉千代子オフィシャルブログ「ちよちゃんのブログ」Powered by Ameba
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